「雑談力」とコミュニティ希薄化
前回に続いてまたもや書評です。
これまで取り上げてきた新書と違って、これは自己啓発に分類されるのでしょうか。
- 作者: 齋藤孝
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2010/04/09
- メディア: 単行本
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『声に出して読みたい日本語』から長く人気を博している、齊藤孝先生の2010年の著作です。
確か『声に出して〜』の第1作は金八先生第6シリーズ(2001年)の劇中でも活用されてたから、もう10年以上人気なのかー…(遠い目
※ちなみに私はかつて金八フリークを自負していました
本書の主張は一貫しており、会話において「結論を急ぐ」「中身や意味を求める」ことに陥りがちな現代人に対して、
「中身や結論のない会話」「仲良くなるための」が重要であること、それも大事なコミュニケーションであるということが繰返し説明されています。
そうした”雑談力”をいかに鍛えるか、いかに中身のない会話を展開させるのかという、
テクニカルな話が中盤では説明されていますが、
終盤では、そうした中身のない”雑談力”こそが、これからの時代にとても重要であるという主張がなされています。
ハウツー本ではありますが、
『もっと肩を抜いたっていいじゃないか』『遠回りも楽しいじゃないか』『心を開こう』といった、
ガチガチな現代社会に対するパラダイムシフトが提案されていると感じます。
通読するのに2時間とかからないので、多くの方が一息で読めてしまうのではないでしょうか。
さて、私は本書を、単身者と地域コミュニティ、という観点で読んでみました。
東京で単身者となると、家と勤務先、家と学校との往復が生活の大部分となり、
家の周りにある“地域コミュニティ”のようなものを意識することはないですよね。
サラリーマンになれば異動も当たり前で、1、2年程度の間隔で転居がある人が多いことを考えれば、必要性を感じないのも当たり前。
しかし、自分が“地域の中”に住んでいることを意識しなくなると、おのずと生活が自分中心になってしまう危険性が高いように感じます。
例えば、面倒なゴミ出しを前日の夜にしてしまったり、分別もいい加減になってしまったり。
大学生ともなれば仲間を集めて宅飲みパーティー。
テレビやステレオの音だって、外にどう漏れてるかはあまり気にならない。
このようにして、“地域”に対して自分の生活が胸を張れなくなった結果、
近所の人を見かけてもなぜか根拠もなく気まずさを感じて、うつむいたり目を合わせることを避けたり。
同じアパートの住人と遭遇しても、同じ行動をとったり…。
これは止められない負のスパイラルですね。
前置きが長くなりましたが、そこでこそ本書の「雑談力」が有効ではないかと感じました。
簡単に言えば、近所の人に会って挨拶できる力(本書では「挨拶プラスアルファが雑談である」と言っていますが)、雑談できる力は、
地域においてそれまでブラックボックス的であった自分という存在を、好印象で公開することにつながります。
『あそこのアパートの大学生、何考えてるのかしらねぇ(ヒソヒソ』といったイメージから、『挨拶してくれる感じのいい学生』といった風に。
中身がなくても笑顔で会話する習慣があれば、自分も地域に対して抱いている気まずさも消えるのではないでしょうか。
要は、近年言われている“コミュニティ希薄化”は、こうした中身のない会話を避ける、
雑談力の低さから来てる部分も大きいのではないかと。
少し大きく捉え過ぎな感もありますね…。
そんなことを、この本を読みながら感じました。
結論としては、私は地域コミュニティを感じたいので、
明日から地域に挨拶しよう、あわよくば「今日は天気いいですねー」くらい加えてみよう、というところでしょうか(笑)