『足立食本』なるもの、チェックしました?
思った通り、更新が滞っている…笑
ブクログのレビューだけは頻繁に更新しているのですが(弁解
近況。
就職決まった!
だから大学院は今年度で終了して、長く続いた学生生活をオサラバしたい!
そんなわけで修士論文執筆!
…というわけで研究活動が最近の全てなのですが。
大仰なテーマ設定とか、
社会調査ゆえの諸々の先方とのやりとりとか、
研究室内のいろいろなプレッシャーとか、
諸々の後悔とか、
いろいろストレスを勝手に溜め込んで風通し悪い今日この頃なのです。
論文提出の2月頭まで、かなり長いマラソン状態となるかもしれません><
息抜きも兼ねて、最近の北千住。
マルイ内の紀伊国屋に行ったら、
『足立食本』なるものが平積み!どころか一つの島になっててかなりプッシュされていました。
千住のお店もかなり紹介されているようですね。
ちょっと前に『足立本』も他出版社から出てましたので、
これも合わせて足立の食を堪能しなきゃ、なところです。
人生のモチベーション、みたいなもの
友人と、久々に「語り合った」ような気がするので、その内容を思い出しながら備忘的に書いてみる。
問題提起は私。
就職活動がひとまず終わったので、先週はまるまる実家のある愛知県に帰省していたのです。
帰省中は、小中学校時代の旧友と連日飲んだりしていたのですが、
彼らと飲みながらする話って、
「昔はあんなことあったよねー」「誰誰は今何をやっているらしいよー」
に集約できてしまうことが、なんかつまらないなーと感じたわけです。
みなさんはそんなことありませんかね?
私はこの、思い出話の掘り返しと、第三者の近況でまとめられてしまう。
つまりは「“当事者である”お互いが、どんな気持ちで“いま”を生きているのか」って話ができないなー、と。
私のコミュニケーション力の不足なのか、はたまた昔が本当に輝かしい幸福だったのか、
日々何も考えていないのか、お互いに関心がないのか、それはわかりません。
ただ、毎回こんな感じの話のマンネリ展開になるのが予想されてしまうと、
「帰省するモチベーション」とか、「昔の仲間に会うモチベーション」がなくなっていくのではないかというのが怖くて仕方ないのです。。。
というのが、私が帰省中に感じたコト。
テーマは、成熟した旧友との付き合い方、です。
で、なんとなく昨日の会話の中で、いくつか理由についての考察を行ってみたわけです。
一番強いのは、“自分が彼らを、どこかすれた目で見ているのではないか”ということ。
だからこそ掘り下げた話を仕掛けられないのではないか。
このあたりからは、おそらく賛否両論な展開になります。笑
旧友たちの9割以上は地元の中学高校を出た後も、地元に進学して、地元市内で就職。
(ここからは勝手なイメージ)
きっと就職後も仕事へのモチベーションはまさに「金稼ぎ」で、“どうして働くのか?”と問われれば、迷わず“余暇のため”と答えそう。
仕事中は“自分”を殺して定時を待ち、定時とともに会社の外で“自分”を解放する。
“社畜”、とか自称してみたり。
地方だと、人生のモチベーションがそっちのほうになりがちなんじゃないかという、東京在住者としての(あまりに傲慢な)ステレオタイプがあるのです。
これって、小学校までの“ただひたすら休日を楽しみに生きてた生活”と変わらないんじゃないかと感じてしまった。
“勉強に対する、内発的なモチベーションのなかった”あの時代。
移動に自動車が使えるようになったり、娯楽の中にアルコールとかが入ってきた程度の小さな変化はあれど、本質的には変わってない。
かたや私は都市づくりという業界に心奪われていて、
就職後もひたすら経験と勉強を積んで、
自分の理想とする都市づくり・まちづくりを常に考え続けて、
そしてそれが実現できる立場になりたい。
これをけっこう本気で妄想しているわけです(恥
すると、就職後の余暇も余暇として楽しめる自信はなくて、読書とか勉強に没頭していそうな自分が用意に想像できる。笑
私が長く学生やってたせいで、こんな理想主義的な思想になってしまったのでしょうか。
理念持って仕事に取り組むとか、人生を通じた自己実現だとか、そんな言葉は働き始めたらしがらみの中に消えていってしまうものなんでしょうか。
来年の今頃自分がどんなこと思っているか不安ではありますが…
こんな“勝手なあきらめ”、が、自分をすれた態度にさせているわけです。
でも、こんなことを感じるのも、結局は自分が彼らに踏み込まないからなんじゃないかなーと指摘された。
掘り下げて話してみたら、実は彼らなりの強い考えがあった、なんていう展開は大いにありそう。
知らずに彼らを批判する資格なんてないし、生きる美学みたいなものを強要することだってダメですよね。
「意外と掘ってみたら、面白いこと考えているかもよ」と、
そんな風に、昨日飲んだ友人には言われた記憶があります。笑
結論としては、次に旧友たちに会う時は、ちょっと掘り下げた話ができるように頑張ってみたいな、ということです。
思い切った“最近どーなのよ?”の言葉には、わりと強いチカラがある気がします。笑
街飲み北千住
街飲みに参加してみました。
とは言えリストバンドつけて居酒屋を2件利用しただけですが・・・。
北千住の街飲みは、リストバンド(前売り500円、当日700円)をつけると、
参加店舗での(お試し的な)飲食がおトクになります。
基本的にはドリンク200円(選択の幅は少し狭かったけど…)と、
お店毎に用意されている、ワンコインメニューを利用できます。
リストバンドは、“友達と楽しんでるので話しかけないでくださいよー”という意思表示と、
“友達作りたいんで話しかけてもらっていいですよー”という2通りの意思表示が、色で分かれています。
今回私は(そもそも一人での参加だったので)後者の意思表示のピンクのリストバンドを購入。
感想としては、結局誰が街飲み参加者かよくわからなかったというのと、自分がチキンだったことで、特に何もありませんでした。笑
なかなか世の中、都合よくはいかない…!
友達作れたらいいなーという下心を持って参加した私としては、待ちの姿勢だけじゃあかんなと気づかされました。笑
もちろん良かったのは、普段なかなか一人では居酒屋なんて入らないしハードルも高かったのが、
ワンコインメニューと200円ドリンクの存在のおかげで、入りやすくなったことですね。
ああ、この店こんな味なのかーってのがわかると、お互いにとって確かによいのかも。
ちなみに今回利用したのは下の2件です。
東口を出て、土手方面へ歩くと右手に見えるオサレなお店。
ねぎの代わりにたまねぎが挟まっていたり、
からしをつけて食べたりする、室蘭焼き鳥という独特のジャンル。
外からは店内が見えず、少し扉を開けにくい店構えでしたが、今回思い切って入店してみました。
ワンコインメニューは、室蘭焼き鳥を4本セットでいただきました。
一般的な焼き鳥よりもタレも甘めで、からしもよく合って美味しかったです。
ビールと焼き鳥、といきたかったところですが、200円ドリンクはレモンサワーのみだったのが個人的には少し残念…
「北千住を盛り上げよう!」な既往の取組みを探してみた。
タイトルの通り。
基本的にはネット検索です。
■学生によるもの
FC2ブログとFacebookページとがあります。
足立で働く人や輝く人に焦点をあてて、インタビュー映像をYoutubeにアップするなど。
行政(足立区役所)が、商店街活性化を目的に、
商店街振興組合連合会や北千住地区の大学(放送大学、東京藝術大学、東京未来大学、帝京科学大学、東京電機大学)と一緒にフリーペーパーを作るなど。
足立区や東京都、東京芸術大学音楽学部(北千住にキャンパスがある)などが関わって作る、 「まちなかアートプロジェクト」。
「音」をテーマに、頻繁に市民参加型のスタイリッシュなアートイベントを開催しているようです。
協力アーティストの中には、さすがに自分も聞いたことのある“やくしまるえつこ”の名前も。
■特に主体を限定していないもの
月〜土まで毎日(すご!!!)やってるらしい、始まったばかりのネットラジオ。
北千住駅前がスタジオとな。
株式会社CANというところが運営している、北千住のお店や、イベント情報をまとめたポータルサイト。
ちなみにこの会社のメインは整骨院事業で、そのひとつには私も通院してます(←
いろんな主体が「北千住おこし」してるみたいです。
「雑談力」とコミュニティ希薄化
前回に続いてまたもや書評です。
これまで取り上げてきた新書と違って、これは自己啓発に分類されるのでしょうか。
- 作者: 齋藤孝
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2010/04/09
- メディア: 単行本
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『声に出して読みたい日本語』から長く人気を博している、齊藤孝先生の2010年の著作です。
確か『声に出して〜』の第1作は金八先生第6シリーズ(2001年)の劇中でも活用されてたから、もう10年以上人気なのかー…(遠い目
※ちなみに私はかつて金八フリークを自負していました
本書の主張は一貫しており、会話において「結論を急ぐ」「中身や意味を求める」ことに陥りがちな現代人に対して、
「中身や結論のない会話」「仲良くなるための」が重要であること、それも大事なコミュニケーションであるということが繰返し説明されています。
そうした”雑談力”をいかに鍛えるか、いかに中身のない会話を展開させるのかという、
テクニカルな話が中盤では説明されていますが、
終盤では、そうした中身のない”雑談力”こそが、これからの時代にとても重要であるという主張がなされています。
ハウツー本ではありますが、
『もっと肩を抜いたっていいじゃないか』『遠回りも楽しいじゃないか』『心を開こう』といった、
ガチガチな現代社会に対するパラダイムシフトが提案されていると感じます。
通読するのに2時間とかからないので、多くの方が一息で読めてしまうのではないでしょうか。
さて、私は本書を、単身者と地域コミュニティ、という観点で読んでみました。
東京で単身者となると、家と勤務先、家と学校との往復が生活の大部分となり、
家の周りにある“地域コミュニティ”のようなものを意識することはないですよね。
サラリーマンになれば異動も当たり前で、1、2年程度の間隔で転居がある人が多いことを考えれば、必要性を感じないのも当たり前。
しかし、自分が“地域の中”に住んでいることを意識しなくなると、おのずと生活が自分中心になってしまう危険性が高いように感じます。
例えば、面倒なゴミ出しを前日の夜にしてしまったり、分別もいい加減になってしまったり。
大学生ともなれば仲間を集めて宅飲みパーティー。
テレビやステレオの音だって、外にどう漏れてるかはあまり気にならない。
このようにして、“地域”に対して自分の生活が胸を張れなくなった結果、
近所の人を見かけてもなぜか根拠もなく気まずさを感じて、うつむいたり目を合わせることを避けたり。
同じアパートの住人と遭遇しても、同じ行動をとったり…。
これは止められない負のスパイラルですね。
前置きが長くなりましたが、そこでこそ本書の「雑談力」が有効ではないかと感じました。
簡単に言えば、近所の人に会って挨拶できる力(本書では「挨拶プラスアルファが雑談である」と言っていますが)、雑談できる力は、
地域においてそれまでブラックボックス的であった自分という存在を、好印象で公開することにつながります。
『あそこのアパートの大学生、何考えてるのかしらねぇ(ヒソヒソ』といったイメージから、『挨拶してくれる感じのいい学生』といった風に。
中身がなくても笑顔で会話する習慣があれば、自分も地域に対して抱いている気まずさも消えるのではないでしょうか。
要は、近年言われている“コミュニティ希薄化”は、こうした中身のない会話を避ける、
雑談力の低さから来てる部分も大きいのではないかと。
少し大きく捉え過ぎな感もありますね…。
そんなことを、この本を読みながら感じました。
結論としては、私は地域コミュニティを感じたいので、
明日から地域に挨拶しよう、あわよくば「今日は天気いいですねー」くらい加えてみよう、というところでしょうか(笑)
『商店街再生の罠』と北千住
書評なんかも書いてみます。
商店街再生の罠:売りたいモノから、顧客がしたいコトへ (ちくま新書)
- 作者: 久繁哲之介
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/08/07
- メディア: 新書
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